人間が死ぬとあの世に行くと言われますが、それって本当なのでしょうか?
あなたは、あの世があると思いますか?
・ある
・ない
・あると信じたい
・わからない
さまざまな答えがあると思いますが、大雑把にいえば肯定派と否定派に分かれますよね。
現代のサイエンスではあの世の存在を「あるといえる確証がない」ため「あるとはいえない」としています。
サイエンスでは合理的な「確証」がなければその存在を主張できません。
このため、あの世の存在を証明できない現状では「あるとはいえない」という、あるともないともいえないような表現しかできません。
しかしサイエンスでは「再現性のある確証を以て合理的に説明」できなければそれは「ない」とほとんど同意と判断されますから、あの世は「ない」という意味でしょう。
でも、本当にあの世はないのでしょうか?
合理的な証拠が示せなくても、誰もが十分に納得できる説明は出来ないものでしょうか?
今回は「あの世がある証拠」についてサイエンスに頼ることなく、スピリチュアルな視点からその存在を考えてみたいと思います。
あの世とは(あの世の定義)
まず、そもそも論として「あの世とは何か」について明確にしておきましょう。
あの世と言ってもその人の立場や環境、信仰などによって意味が異なることがあるためです。
あの世の意味の解釈が異なると議論そのものが噛み合わなくなってしまい、何のための議論かが曖昧になってしまいますからね。
以下の説明を誤解なく理解いただくため、本稿ではあの世を以下のように定義します。
あの世とは、
私たちが生きている状態「以外」の総称
生きていない状態すべてですから死後世界、生まれる前の世界、前世と現世の「間」の世界などはすべて「あの世」ということになります。
これに対し、生きている状態を「この世」と定義します。
あの世はどんな世界なのか
あの世の定義から「あの世とは生きている状態以外の世界の総称」ということが明確になりましたが、具体的にあの世とはどんな世界なのでしょう?
あなたが生きている状態「以外」の世界・・・これって、生きている状態と何がどのように違うというのでしょうか?
生きている以外って、要は死後世界と言うことですよね?
死んで次に別の人間として生まれ変わると考えると、生まれる前の世界は死後世界と同じと言うことになりそうです。
つまり、死んでから次に生まれてくるまでに過ごす世界があの世とすれば、死後世界も生まれる前の世界も前世と現世の間の世界も同じものと考えて良さそうですね。
あの世へは、私たちが死ぬことで行くことができるということですが、人は死ぬとどうなるのでしょうか?
私たちが生から死へと移行する場合、その具体的なプロセスはザックリと
・心肺停止
↓
・脳機能停止
↓
・呼吸停止
↓
・意識の喪失
細かく見ていけばもっと複雑なプロセスを経るのでしょうが、ザックリとはこんな感じでしょう。
でもこのプロセスのひとつひとつに、共通した特徴があります。
それ、何だと思います?
死とは肉体の機能が停止した状態
その共通した特徴とは、すべて「肉体の機能」に関するものということです。
心配が停止し、脳が機能停止し、呼吸が停止していく・・・
心臓も肺も脳も呼吸もすべて肉体の一部です。
ですから肉体が機能できないような状態になれば、当然のことながら心臓も止まるし脳も機能停止するし肺、すなわち呼吸も停止します(医学的にはこの順番は異なるかもしれませんが)
そして全ての肉体の機能が停止したときを「死」と言っているんですね。
あれ?
と思いませんか?
生から死へのプロセスの最後にある「意識」は?
意識喪失、すなわち意識がなくなるって、どういうこと?
意識だけは肉体の一部ではありませんよね?
意識には形がありません、すなわち肉体どころか物質ですらないものです。
医学的に考えて、肉体の機能停止は「目に見える」ため判断できますが、意識はそもそも形がないので「意識がなくなった」かどうかは厳密には判断できません。
医学的には肉体の全ての機能が失われれば意識も消失すると考えます。
だって意識は「脳が創り出した」物に過ぎないから。
でも、これって本当でしょうか?
死後に意識はどうなるのか
いま問題になっているのは「私たちの意識は死後どうなるのか」ということです。
医者や科学者が言うように、脳が機能停止したら本当に意識も消えてなくなるのでしょうか?
実はこれ、確認のしようがありません。
それなのになぜ意識が「消失」するって言えるんでしょうか?
あの世の存在こそが私たちの存在証明になる?
もう少し掘り下げて考察してみましょう。
死とともに意識も消失すると仮定すると、死は「無」ということになります。
つまり人間は死んだらすべてが無に帰すということです。
これって生きているときに最高に楽しくてエキサイティングでスリリングな経験を山のようにしたとしても、死ぬとそれらすべてが一瞬にして消えてなくなってしまう、ということです。
なぜなら人生の楽しかった記憶や経験のすべては意識にプールされるからですね。
そしてその意識は脳が創り出したもの。
だから、脳が機能停止することですべての記憶や経験はすべて消えてなくなってしまう。
これがサイエンスの主張です。
でもこれって、おかしくないですか?
死とともにすべてが消えてしまうなら、何のために様々な経験をするのでしょうか?
自分の成し遂げたことが後世のために役立つのだから、それは意味のないこととはいえない・・・なんて本気で言いませんよね?
だとしたら私たちは全て、後世の人たちのために生きることになります。
この辺の議論をさらに突き詰めると、話が哲学の領域に入ってしまうためこれ以上は差し控えますが、少なくとも私にはこの説明は納得できません。
人は何のために生まれ、何のために生きるのか?
この、人間が生きていく上で最も根源的な問いに答えることができるのがスピリチュアルです。
意識は消えてなくなることはない?
こうした根源的な疑問は人間が「肉体のみの存在である」と考えるために起きてきます。
確かに、目に見える部分だけで考えれば「人間は肉体のみの存在である」となるでしょう。
しかし人間は目に見えるものだけで出来ているわけではないことをあなたは既に知っていますよね?
そしてその「目に見えないもの」も人間を構成する大事な要素なんです。
はい、それが「意識」ですね。
意識は「形がない」と説明しました。
すなわち形がないにもかかわらず人間の大事な一部ということです。
形がないのに大事な物・・・それっていったいなんでしょう?
その答えは「気持ち」「心」「感情」「思い」「考え」「精神」「魂」など、あなたの意識が創り出すもののことです。
そしてこれらは肉体と同じか、それ以上に大切なものとして認識されているともいえます。
そしてここからが大事なポイントですが、形のないものに関してはサイエンスの範疇ではなくスピリチュアルの範疇の問題なんです。
ですからスピリチュアルな視点で考える必要があるんです。
スピリチュアルでは、人間は肉体でできている、とは考えません。
人間は「肉体と意識でできている」と考えます。
つまり、意識は肉体の一部である脳が創り出したものではなく、肉体とは別に存在するものと考えるんです。
しかしながら私たちが生きている間は意識は肉体と同化しており、肉体と意識が別物であると認識する機会はほとんどありません。
ただしごく希に体外離脱(幽体離脱)や臨死体験を経験すると、自分の意識が肉体を離れて別の世界を垣間見ることがあります。
こういう経験をした人たちは、肉体と意識が別々に存在することを「身をもって」知ることになります。
また、瞑想を繰り返している人の中にも自分の意識の一部を肉体から遊離させることが出来る人がいます。
彼らが(彼らの意識が)肉体から離れて見るものとはいったい何なんでしょうか?
意識が肉体から離れて初めて見る「あの世」とは
意識が肉体から離れるのは肉体が機能を失うとき、すなわち死ぬときです。
生きている間、意識は肉体を通して物質世界を体験しているといえますが、死とともに意識は物質世界から離れることになります。
肉体を離れた意識は物質の存在しない世界へと移行していきます。
そこは意識が本来存在する世界、すなわち「非物質世界」です。
実は私たちは生きているときも意識は非物質世界と繋がっているのですが、そのことに気づいていません。
なぜなら肉体からの信号(味覚・視覚・嗅覚・触覚・聴覚などの五感)が強さに比べ、非物質世界からの情報は非常に微弱なため受け取っていても気づかないのです。
気づいていなくても、非物質世界からの情報は受け取っていて、ことあるごとにあなたにメッセージを送っています。
たとえば「虫の知らせ」とか突然凄いアイデアが「ひらめいた」とか。
つまり私たちは生きていても死んでいても、非物質世界と繋がっているということです。
言い換えれば私たちは生きている今でもあの世と繋がっているんだ、ということです。
・なにワケの分からないこと言ってんの?
・生きている人間があの世と繋がってるなんてにわかに信じがたいよ!
なんて思っていませんか?
もう少し詳しく説明しましょう。
目に見えない世界すなわち非物質世界というのは、私たちが普段認識している物質世界とは別に存在しているわけではありません。
なぜなら非物質世界は「形のない世界」ですから「ここにある」と場所を特定できるものではないんですね。
言い換えればそこいら中がみんな非物質世界に包まれており、その一部に物質世界が存在していると考えることもできるわけです。
そして私たちの意識は非物質ですからそうした「そこいら中」に広がる非物質世界にあるわけです。
その一部に存在している物質世界にいるあなたの肉体とも繋がっている。
そして肉体と繋がっていることで強烈な物質世界の信号にまみれているために、非物質世界の微弱で朧気な世界と繋がっていることに気付かないんです。
お分かりでしょうか?
あの世とこの世の違いとは、肉体があるかないかの違いだけとも言えます。
人間という存在を、肉体だけと考えたのでは決して見えてこない世界が、実は私たちがいる世界なんです。
人間とは肉体を超えた存在であるという認識を持つことで、あの世も当然存在するということがご理解いただけると思います。
総括すると
今回はあの世の存在について、スピリチュアルな視点から説明しました。
あの世がなければ前世も過去世もないし、生まれ変わりもありません。
まして死後世界なんてありっこないということになってしまいます。
しかしこの結論は科学的には正しくても、やはり受け入れることは出来ません。
人間には肉体という「目に見える側面」と、意識という「目に見えない側面」があって初めて死後世界や生まれ変わり、前世・過去世の説明がつきます。
そもそも科学の視点だけで論ずること自体に無理があるんです。
ですから、あの世の存在を「科学的ではない」という理由で否定するのはナンセンスなことであり、とても勿体ないことだと思います。
あなたもこれを機に、目に見えない世界の探索に踏み出してみてはいかがでしょうか?
今回は以上です。
長文お付き合いいただきありがとうございました。