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成仏しないとどうなる?知られざる死後世界と成仏できない現象の真実を解明する

成仏しないとどうなる?

人は死ぬとどうなると思いますか?

死んでしまえば全ては無だ・・・なんていう人もいますが本当でしょうか?

よく人が死ぬと「成仏してください」と言いながら祈りを捧げたりしますよね。

ということは、死んで成仏する人と成仏できない人がいると言うことでしょうか?

これって不思議ですよね。

成仏できる/できないにはどのような違いがあるのでしょう?

成仏できるのはなぜなんでしょう?
成仏できないのはなぜなんでしょう?

本稿では、なんとも不可思議な死後世界、特に成仏できない現象についてスピリチュアルな視点で解説していきたいと思います。

 

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成仏できないって、どういう状態なんだろう?

私たち日本人にとってはとても馴染みのある成仏という言葉ですが、本来この言葉は仏教用語なんですが、そんなこと意識することなく普通に使っていますよね?

それほど私たちの日常に自然と溶け込んでいる言葉と言えます。

もともと仏教では「煩悩を解脱して無上の悟りを開く」ことから、人が死んで仏になることを成仏と言うようです。

私は特に仏教を信仰していませんが、小さな頃から日常にこうした仏教用語や思想が普通にあったため、成仏という言葉には特に違和感を感じたりすることはありません。

そして宗教的な関心や興味とは一切関係なく、人が死ねば成仏してくださいと手を合わせます。

これは私に限ったことではなく、多くの日本人にとっても日々の生活に自然と溶け込んでいるのではないでしょうか?

そんな私たちが理解している「成仏」の意味とは、

死んだ人があの世の「行くべきところ」に行けたかどうか、行けた場合を成仏できたと表現しているのではないでしょうか。

でも・・・

私たちはどうして成仏したいと望むのでしょうか?

私たちが漠然と理解している、あの世の「行くべきところ」とは、どこにあるのでしょうか?

これについてはさまざまな解釈があり、決まった答えがあるわけではありません。

ただ漠然と「死ぬとどこか行くべきところがあって、そこに行くんだろう」と思っている。

特にスピリチュアルの世界ではあの世のことを「天国」と呼んだり「死後世界」と呼んだり、「天上界」「黄泉の国」「非物質世界」「中間世」など多岐にわたる呼び方をします。

そこがどんなところか、これは人、宗教、立場などによって解釈が違うということです。

でもそれでは説明が煩雑になりわかりにくいと思いますので、本稿では「行くべきところ」を次のように定義します。

行くべきところとは、
現世と来世(今の人生と次の人生)の「中継点」である。

この考えは、私たちが今の人生を終え次の人生を始める、いわゆる「生まれ変わり」を前提にしています。

 

成仏しないとどうなる?

成仏するとは「行くべきところ(中継点)に行く」ことだとして、そこに行くことができないということがあるのでしょうか?

人が死んで再び別の人間として生まれ変わるのなら、必ずみんなこの中継点には行くんじゃないのか、と思いませんか?

だって中継点って現世と来世の間にあるのなら、生まれ変わるためには必ず通るところってことでしょう?

結論から言えば本来行くべきところ、すなわち中継点に行くことができないことはあります。

つまり、

成仏できる霊と成仏できない霊はあるんです。

ではどのような場合に成仏できて、どのような場合に成仏できないのでしょうか?

多くの人たちが勘違いしているんですが、現世で前任として生きた人が成仏できて、悪いことをした人は成仏できない、ということではありません。

ですから「自分はこれまで悪いことばかりしてきたので、死んだら成仏できないのでは・・・」なんて心配はご無用です。

こうした「善悪」の考えは、人間が社会性を保って生きていく上で必要に応じて創ったもので、それが死後に影響するものではありません。

善人は天国に行き悪人は地獄に落ちるという考えは、私たちが社会を円滑かつ平和に生きていく上で必要な考えではあってもそれが死後にまで影響することなんてないんです。

なぜなら死後の世界には善悪なんて概念はありませんから。

天と地、神と悪魔、光と影、正と誤、表と裏、勝ちと負け、好きと嫌い、善と悪・・・

両極端の立場や考え方をすることで、私たちが生きている世界ではでは物事を考えやすくしていますが、これは私たちが生きている世界すなわち「物質世界」のみに通用する概念であって、死後世界にはこうした「二元論」は存在しません。

なぜなら、死後世界は「非物質世界」だからです。

こうした二元論というのは、何かと何かを対比して違いを明確に示す手法ですが、対比するものがあって初めて成り立つ論法ともいえます。

ところが死後世界には対比させる物質が存在しないんです。

物質が存在しない以上、天も地も、神も悪魔も、光も影も、正も誤も、表も裏も、勝ちも負けも、好きも嫌いも、善も悪も存在しません。

ですから善い行いをすれば成仏できるとか、多くの人に迷惑をかけたから成仏できないという考えは通用しないと言うことですね。

なるほど・・・

では、どんな理由で「行くべきところ」に行けたり行けなかったりするのでしょう?

多くの人が、行くべきところに行けずにさまざまな場所で「囚われて」しまっています。

つまり「成仏できない」人たちはたくさんいるということです。

だから、どんな理由で?

はい、成仏できず「囚われて」しまう理由はふたつあります。

逆を言えばふたつしかありません。

そのふたつとは以下です。

 

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自分が死んだことに気付いていない

私たちはたったひとりの例外もなく、数十年以内に死にます。

しかし死に方によっては、自分が死んだときに死んだと気づかないことがあるんです。

たとえば突然の事故で命を落とした人の中には、死が一瞬で訪れたため自分が死んだことに気付かないことがあります。

こうした人は自分が死んでしまったことに気付かず、ずっと事故現場に居続けます。

自分が事故に遭ったことは認識できても、まさか死んだとは思っていない・・・

そして「事故を起こしてしまった、たいへんだ、助けを呼びに行かなければ!」

と思いながら誰か助けてくれる人が来るのを待ち続けます。

そして死後世界は非物質世界ですから、時間の概念がありません。

しかし自分が死んでいることに気づいていない人はそこが死後世界とは思っていないため、おぼろげながらも時間の感覚を持ち続けています。

そして事故現場に何十年も何百年も居続けても、本人はそんなに長い時間が過ぎているなんて思っていない・・・せいぜい数時間程度だと思い込んでいます。

そしてたまにその場所を通る「生きた」人の意識と波長が合ってしまうことがあります。

それが霊として目撃されたりするんですが、これがいわゆる地縛霊ってやつです。

自分が死んだことに気付いていないため、意識が囚われていることにも気づかずその場に居続ける。

本人はなんだか分からないまま、ぼんやりとそこに居続けるわけです。

こうした事故の事例以外にも、病院で長患いしていた人がそのまま亡くなってしまった場合、自分が死んでしまったことに気付かず病院の病室に延々と寝ている、なんて例もあります。

これって死んだ人の意識が病室に囚われてしまっている状態ですね。

共通しているのは「自分が死んだことに気付いていない」ということです。

このように囚われてしまうと、本来行くべきところに行くことができないため成仏もできません。

 

この世にとても強い未練・執着がある

この世に強い未練や執着を持ったまま死んだ人も行くべきところに行けません。

この場合は先ほどのように「自分が死んでいることに気付いていない」わけではなく、ちゃんと自分が死んでいることが分かっています。

たとえば、

・誰かに騙されて無実の罪を着せられ八方塞がりの末に死を選んでしまった
・いじめに遭い想像を絶する辛い日々に耐えられなくなって死を選んでしまった
・不治の病で幼い子供を残してこの世を去らなければならない・・・とか。

要は死んでも死にきれない、といったケースです。

こういう死に方をすると、この世に強い未練や執着を残してしまいます。

騙した相手とか、いじめた相手とか、小さな子供とかに対する強い未練や執着。

このように強い未練や執着を持ったまま死ぬと、死後世界に行っても意識はこの世に強く引きつけられてしまうため、結果的に囚われてしまったままの状態になります。

こうしてあの世の「行くべきところ」に行けなくなってしまうわけです。

この場合は特定の人に執着を持ちますので、騙した相手のもとに現れるという形で目撃されることがあります。

いわゆる浮遊霊と呼ばれるものですね。

特定の人がどこにいようとも、ずっとついて回るわけですね。

こちらの例も本来行くべきところに行くことができないため成仏もできません。

 

成仏できない現象が少しでも減らせるように

地縛霊とか浮遊霊とか言うと、なんとなく怖いと感じるかもしれませんね。

しかし前章で解説した地縛霊にしても浮遊霊にしても、実はとても気の毒な存在であるということが分かります。

なぜなら本来行くべきところに行けずに、この世でもあの世でもない中途半端なところで囚われちゃってるわけですから。

こうして囚われてしまった霊だって、自分の意思で囚われたわけではありません。

囚われて居続ける限り、いつまでたっても来世に生まれ変わることが出来ないわけで、これは決して良い状態ではないんです。

本来なら「行くべきところ」にちゃんと行って、次の人生のスタートを切るのが望ましいのですから。

 

囚われから解放し、中継点に行けるようにしてやる

できることなら、囚われている霊をなんとかして解き放ってあげたいと思いませんか?

こうした気の毒な霊を囚われから解放してやるのが「供養」というものです。

供養してやることで、囚われている霊に「そこに居ちゃいけない、来世に生まれ変わるために中継点に行きなさい」と気付かせてやることができるんです。

それにより、霊が本来行くべきところ、すなわち中継点に行くことができれば「ちゃんと成仏できた」ということになるわけですね。

こうした「囚われ」ている霊をひとり残らず「行くべきところ」に連れて行ってあげたいものですね。

 

総括すると

今回は、成仏できない現象と成仏しないとどうなるかについて解説しました。

成仏できない霊は「地縛霊」や「浮遊霊」と認識されるため、ちょっと怖いと感じるかもしれません。

しかし実際は、彼らは気の毒な存在だと言うことが理解いただけたことと思います。

本来ならあの世の「中継点」に行くべきなのに、行けずに囚われちゃってるわけですから。

 

今回は以上です。
長文お付き合いいただきありがとうございました。

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