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亡くなった人はどこにいるの?会いたい、話したい、メッセージを届けたいあなたへ

亡くなった人はどこにいるの?

人って死んだらどうなるんだろう?

この疑問、誰でも一度や二度は考えたことがあると思います。

でも答えはありません、少なくとも万人が納得する答えはまだ出すことが出来ていないのです。

私たちは死という「答えの判らない」状態にそう遠くない将来、必ず直面することになるということです。

自分の死も然る事ながら、身近な人が亡くなると、その人のことを懐古して考えがちですよね。

その人が生きているとき以上に考えてしまうこともあるのでは?

出来ることなら亡くなった人に会いたい、話したい、生きているうちに会って言えなかったことを何とかして伝えたい・・・

亡くなった人はいま、どこにいるの?

今回はそんな思いを強くお持ちのあなたに、亡くなった人がどこにいるのか、会えるのか、話が出来るのか、話が出来なくともメッセージを伝えることは出来るのか、についてスピリチュアルの視点から詳しく説明していきます。

 

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人が亡くなることの意味

なぜ人は生まれてきて、そして死んでいくのでしょうか。

その答えは「視る視点」によってさまざまです。

私はスピリチュアルの専門家ですから、スピリチュアルの視点から生と死について説明していきたいと思います。

私たちは肉体という有限の物質で出来ているため、生物学上の寿命を超えて生き続けることは出来ないとされています。

2020年厚生労働省発表によると日本人の平均寿命は女性で87.74歳、男性で81.64歳となっており、2019年の結果よりも伸びているんですね。

これは平均寿命ですから、当然これよりも長生きする人もいれば早くなくなる人もいます。

ある学者の研究では、人間の生物学的な限界は120歳前後だそうなので、長生きできても120年がせいぜいという事ですね。

最近は徐々に平均寿命も延びてきているので、人生100年時代なんて言葉も耳にするようになりました。

だとしても、たかだか100年しか生きられないと言うことですよね。

生まれて100年もすればほとんどの人は死んでしまう、どんなにすばらしい人生を送ったとしても、どんなに辛い一生を過ごしたとしても、寿命が来ればこの世からサヨナラしなければいけません。

で、ほとんどの人は、もしかすると全ての人が、自分の100%満足のいく人生を送ってあちらの世界に旅立つわけではありませんよね。

なにかしらやり残したこと、心残りなことがある状態で人生引退となります。

それだけではありません。

遺された周りの人たちも、その人とのさまざまな関わりの中で心残りなことがたくさんあるわけです。

死んでいく側も遺された側も、どちらも「どこか納得できない」思いを残したまま。

どんなに心残りでも、もうどうすることも叶わない・・・

だから人が亡くなるというのは悲しいんだと思います。

現実問題として無理かもしれないが、叶うならもう一度、一度でいいから亡くなったあの人に会いたい、会って話がしたい、ずっと伝えたかったことを直接伝えたい。

多くの人がそんな思いを心に秘めているんですね。

亡くなった人との邂逅は、本当に不可能なことなんでしょうか。

それを知るには亡くなった人がどこにいるのかを理解する必要があります。

 

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亡くなった人はどこにいるのか

さて、亡くなった人はどこにいるのでしょうか。

いろいろな人がさまざまな立場でなくなった人居場所について語りますが、果たしてどれが本当なんでしょうか。

代表的な説を順番に見ていきましょう。

 

存在そのものが消失する

肉体が老化し機能しなくなるのが死とするなら、死ねば肉体とともに朽ち果ててしまい後には何も残らない、無。

肉体が機能しなくなるわけですから、肉体の一部である脳も機能しなくなります。

私たちの意識(記憶・経験・思い出・感情など)は脳に存在していたもののため、脳が機能しなくなればそれと同時に意識も消失してしまう・・・

だから死は肉体も意識も何もかもが雲散霧消してしまい、何も残らない。

科学を中心として、死に関してはこのように考えられています。

おそらく世間一般にはこの考えが多数派を占めていることでしょう。

しかしこの考えは「人間は肉体である」という前提で考えられたものです。

だから私たちの存在の全ては肉体にあり、意識も脳に格納されているものと考えます。

だから肉体が機能しなくなれば、意識だって一緒に消えてなくなるという理屈ですね。

でも、この考えを採用するとどうしても説明が付かなくなる事柄が出てきます。

それは「生まれ変わり」についてです。

え、そんなもんあるわけないじゃん・・・って思いますか?

生まれ変わりとか前世の記憶とか言っているヤツは頭がおかしいヤツだから相手にしない方が良い、なんて思ってる?

確かに生まれ変わりの記憶と言われているもののほとんどは、別の説明が出来てしまうものと言えます。

でもその中に僅かではありますが、生まれ変わりを認めない限りどう逆立ちしても説明できないものもあるんですよ。

そして生まれ変わりがあるとするなら、死が無に帰すという説明そのものが成り立たなくなってしまうんです。

本当に生まれ変わりはあるのか。

確証はありませんから断言は出来ませんが、少なくとも科学でも生まれ変わりを否定することが出来ないのは事実です。

だから、死は何もかもが消えてなくなる、無に帰すという説明は正しいとは言えません。

 

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死者の魂が居るべきところにいる

ここまでは、人間は肉体であるという仮定で考えた場合を説明してきましたが、実はスピリチュアルでは人間は肉体であるとは考えません。

スピリチュアルでは「人間は肉体と魂(意識)が合わさった存在である」と考えます。

この考えは、魂(意識)は脳に格納されているものではなく「肉体とは独立して存在する」と考えます。

ちょっと分かりにくいですか?

肉体は形があるものなので分かりやすいと思いますが、魂(意識)はそもそも形がありませんから、その所在に関しては理解しにくいでしょう。

魂とは、いわゆる意識のことですから、あなた自身の記憶やこれまでの経験、さまざまな場面で生じた感情などの総体といえます。

とはうものの、それはどこになるのかと聞かれても、誰も正確に答えられません。

なぜなら形が無いからですね。

脳科学者などは、脳の特定の部位に記憶や感情が格納されていると言います。

その証拠に脳のその部位が損傷を受けると記憶や感情が消えてしまうから、と。

だから魂(意識)は脳に格納されている、と主張するわけですね。

でも・・・と私は思います。

これって記憶や感情を顕在化するために脳の特定の部位が関係しているとは言えても、そこに記憶や感情が格納されているとは言い切れないのではないですか?

先ほど説明したとおり、スピリチュアルでは魂(意識)は肉体とは別に存在していると考えます。

言い方を変えると、脳科学などで言われている「意識は脳の特定の部位に格納されている」という考え方はせず「脳はあくまで意識とコンタクトするためのもの」と考えるんです。

この考えでいくと、脳科学などで記憶や感情が格納されているとされる部位を損傷するとどうなるのでしょうか。

脳の特定の部位は、記憶や感情にアクセスする機能を有するため、その部位が損傷すれば記憶や感情にアクセスできなくなる。

結果として脳の損傷により記憶や感情を失う、という部分は脳科学などもスピリチュアルもまったく同じなんです。

違うのは「魂(意識)」の所在に関する考え方だけです。

ちょっと話が本題から逸れてしまいましたので元に戻しますね。

亡くなった人がどこに行くのか。

どこにも行きません。

肉体を失うため物質次元には何の痕跡も残りませんが、魂(意識)は依然として元々の居場所である非物質世界に残ります。

非物質世界は「物質の存在しない世界」ですから、そもそもそこがどこなのか等を考えること自体に意味がありません。

そこは「ここ」であり「あそこ」でもあり「遙か彼方」でもあるわけです。

 

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宇宙の一部となり同化する

これまでの説明で私は物質世界と非物質世界というふたつの世界について言及しました。

ここで勘違いされても困りますので、もう少し説明させてください。

物質世界と非物質世界。

このふたつの世界が別々に存在しているように思われるかもしれませんが、それは違います。

すべては渾然一体なんです。

目に見えるものも見えないものも、形のあるものも無いものも、手の届くところにあるものも宇宙の彼方にあるものも、昔も今も、神も人も悪魔も、善も悪も・・・

渾然一体。

実はこれが宇宙の正体と、スピリチュアルでは考えます。

宇宙について考えるとき、何が何だか分からなくなりませんか?

宇宙は138億年前にビッグバンによって誕生したとか、今も膨張を続けているだとか、ブラックホールはあらゆるものを吸い込んでしまい二度と出てくることは出来ないとか・・・

でも、そんな宇宙の外側はどうなっているのでしょうか。

また、そこには何があるのでしょうか。

そしてそれらのさらに外側は一体どうなっているのでしょうか。

こうしたことを日々研究している宇宙物理学者などの専門家はそれらの疑問の答えを探そうと必死に頑張っています。

いずれ遠くない将来、これらに関する答えが分かるのでしょうか?

私にはそれは難しいことだと思っています。

なぜなら、彼らは「物質世界」として宇宙を捉え、その範疇で答えを探しているから。

先ほども説明しましたが、物質世界とか非物質世界とかを考えること自体が無意味なんです。

だってすべては渾然一体なのですから。

私たち自身が宇宙でもあり、宇宙は私たちの中にある。

宇宙がどのようになっているのか、それを知りたいなら望遠鏡をのぞいたりコンピューターで難しい計算をするのではなく、自分の潜在意識にダイブすれば良いのにそれをしようとはしない。

科学者はそんな馬鹿げたことに耳を貸してなどいられるか、とか思っているのでしょう。

実は科学も非化学も同じ事なんですけどね。

 

亡くなった人とのコンタクトは可能か

話が宇宙にまで拡がってしまいました。笑

しかし私たちの本質とも言える魂(意識)を突き詰めていくと、どうしても宇宙にまで説明が及んでしまうんです。

渾然一体という考えのもとに立てば、実は生きている人も死んだ人も何も変わらないのだと言うことにも思い至ります。

生きている人と使者との違いって何でしょうか?

違いはたったひとつ、肉体を持っているかいないか。

それだけです。

ですから亡くなった人とコンタクトをとるのは、実はなにも難しいことではないんです。

多くの人が、亡くなった人と会いたい、話がしたい、生前に届けることが出来なかったメッセージを届けたいと思っています。

そしてそれを「物質的」に実現したいと思っているんですね。

断言しておきますね、物質的なコンタクトは100%不可能です。

なぜなら相手は物質ではないのですから。

だからってガッカリする必要はありません。

物質的なコンタクトは出来ずとも、非物質的なコンタクトは出来るのですから。

 

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物質的なコンタクトと非物質的なコンタクトの違い

私たちは普段、肉体の五感を通して情報のやりとりをしています。

目で見てそれがどんな形をしているのかを知る、手で触って感触を確かめる、匂いを嗅いで、指で弾いて音を聞いて、舐めてみて・・・

情報のやりとりのほとんどはこうした五感を通じたものと思っていますよね。

それ、勘違いです。

私たちには五感を通じた情報伝達以外にもうひとつ、情報伝達の手段を持っています。

それは「第六感」です。

なんとなくそんな気がする、とか、言い知れぬ不安な気持ちになる、とか、虫の知らせとか、違和感とか・・・

こうした感覚はあなたも普段から頻繁に感じていることでしょう。

この感覚は肉体を通して感じているものではありません。

厳密には、脳が非物質世界からの情報を捉えてそれを「なんとなく」といった感覚として認識するため、脳を使っていると言えなくもないですが、情報源が完全に非物質であるため五感を通じたコンタクトとは分けて考えるべきです。

そして亡くなった人とのコンタクトはまさに、この非物質的なコンタクトとなります。

この「五感によらない」コンタクトは、五感によるコンタクトと大きな違いがあります。

その違いとは、明確ではない、朧気(おぼろげ)なものだということ。

だから多くの人はこの非物質的なコンタクトをしているにもかかわらずそれを認識できないため、そのコンタクトに気付かないわけです。

その感覚はあなたが想像しているよりもはるかに微かなものです。

これは五感から受け取る情報を太陽の光に例えると、非物質的なコンタクトは星の光くらい弱いといえます。

晴れた日の空には、日中も夜も同じだけの星が輝いているのですが、日中は太陽の光が強すぎて星の光がまったく見えません。

これと同じく、五感からの信号は凄く強いので、同時に非物質的なコンタクトが起こっていても、あまりの微弱さに気付くことが出来ないんですね。

仮に日中なにかの非物質的な情報を受け取ったとしても、それを非物質的なコンタクトとは思わず「気のせい」とか「勘違い」だと思ってスルーしてしまう。

事ほど左様に非物質的なコンタクトとは弱く朧気なものなんです。

 

亡くなった人とコンタクトを可能にする方法とは

亡くなった人とのコンタクトはこの「非物質的なコンタクト」ですから、例えそれが出来たとしてもほとんどの人は気付きません。

結果として、亡くなった人とのコンタクトは出来ないのと変わらないということになってしまうわけです。

やはり亡くなった人とのコンタクトは叶わないのでしょうか。

いえいえ、そんなことはありません。

ちゃんと出来ますからご安心ください。

あなたは星を見たいと思ったらどうしますか?

夜になるのを待ちますよね。

さらに空気の澄んだ山の上に行くとか「より暗い」場所に行こうとしませんか?

そうすることで、星はその美しく輝く姿をあなたの前に現してくれます。

これと同じで、非物質的なコンタクトをしたいのなら「五感からの信号」を限りなく弱めてやればいいわけです。

どうすればそれが出来るのか?

まずはリラックスすることです。

その上で五感からのインプットを極力減らしていきます。

ベッドに横になり、部屋を暗くして目をつぶり、ゆっくりと深呼吸を繰り返します。

こうすることで五感からの信号はかなり弱まってきます。

そして身体の各部位の緊張を緩めていきます。

頭、おでこ、眉、まぶた、頬、唇、顎、首、肩・・・

このように身体の各部位を思い浮かべ、これらの緊張が解けていくことをイメージしていきます。

胸、おなか、背中、腰、股関節、腕、手のひら、指、脚、足、つま先・・・

全身の各部位の緊張が緩んでいくことをイメージしていることで、身体全体がどんどんリラックスしていきます。

その後は静かに穏やかな呼吸を繰り返します。

気が散ってしまわないように、呼吸に意識を向けます。

これで準備は出来ました。

 

亡くなった人に会う

この状態で、会いたいと思っている「亡くなった人」を思い浮かべます。

その人の顔や姿、雰囲気などがイメージできればOKですが、仮にイメージとして見えてこなくても問題ありません。

人によっては「見える」という感覚ではなく、そばに誰かがいるような感覚、声が聞こえるような気がする、亡くなった人の匂いを感じる、という事もありますので、あまり見ること(イメージ)に固執しない方が良いです。

亡くなった人はどうしていますか?

・柔らかい笑顔で微笑んでこちらを見ている
・無くなったときよりも若い頃の姿をしている
・久しぶりだな、と声をかけてくれている
・ハグしてくれた時のような暖かさを感じる
・腕に触れられたような気がした・・・

こうした具体的な情報を受け取ることもありますが、単に光り輝く球が自分の全身を包み込んでいるというような感覚を持つ、という人もいます。

それ、単なる想像でしょ?

と思う人もいると思います。

そうかもしれないし、そうでないかもしれません。

仮にあなたの勝手な想像だったとしても、何故あなたはその想像をしたのでしょうか?

なぜ亡くなった人があなたの前に現れて微笑んでいると想像したのでしょうか?

その想像をした理由は何ですか?

たまたま?

どうしてたまたまその想像をしたのでしょうか。

想像の源(みなもと)はどこから来たと思いますか?
その源も非物質世界からのものと考えると、あなたの勝手な想像だって亡くなった人からのメッセージかもしれない、そう思うことも出来ると思いませんか?

 

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亡くなった人と話したりにメッセージを届けることは出来るか

続いては、亡くなった人との会話です。

亡くなった人があなたの近くに来てくれたと感じたら、是非とも話しかけてみてください。

話しかけてみると、案外なにか答えてくれるかもしれませんよ。

え、そんなわけないって?

私はスピリチュアルの専門家として、多くの人に今紹介している方法で亡くなった人と会話をしてみることを提案してきました。

めでたく会話できた人もいますし、なかなか会話にまでは至らない人も結構います。

上手く会話が出来ない人には決まって次のようなアドバイスをします。

「まずは自問自答から始めましょう」と。

目の前に亡くなった人が来てくれていると仮定して、話しかけてみるんです。

こんにちは、ご無沙汰してますがお元気でしょうか、向こうの世界はどうですか・・・

何でも結構ですから何か声をかけてみてください。

そして・・・答えを待っていてはいけませんよ。笑

待っていては、いつまで経っても何も起きません。

最初は亡くなった人の答えを「あなたが想像」するんです。

あなたが「こんにちは」と声をかけたら、亡くなった人は「どうも、ご無沙汰してます」と答える・・・これはあなたがそう答えるのではと想像したもので良いんです。

それに対しあなたはさらに「向こうの世界はどうですか」と声をかける。

それに対する答えは・・・

こうした一連の会話を「すべてあなたが想像して一人で自問自答」するように会話ごっこをします。

・・・そんなことしても意味ないんじゃないの?

と思うかもしれませんね。

意味は、大ありなんですよ。

そうやってしばらくあなたがひとり芝居を続けていると、ある瞬間からあなたが想像したのではないやりとりが始まることがあります。

この瞬間を私たちは「スイッチが入った」と表現しますが、まさに自問自答だった会話がその瞬間から「あなたと亡くなった人との会話」に切り替わるんです。

あなたが想像し得ない、さまざまな情報がここからどんどん入ってくるようになります。

まさに「会話」ですね。

もしもあなたが、亡くなった人に伝えたいことがあれば是非とも伝えてあげてください。

それにより亡くなった人もあなた自身も納得のいく「これから」を過ごしていけるようになりますから。

この「亡くなった人との会話」は、誰にでもすぐに出来るわけではありませんが、繰り返し練習することで出来るようになる人はたくさんいます。

私自身も10年前に他界した父と何回も会い、会話も交わしています。

その過程で、父の生前に伝えたいこともしっかりと伝えることが出来、自分の中のモヤモヤしたものもスッキリさせることが出来ました。

そういう意味でも、亡くなった人との会話はとても意義のある事だと信じています。

 

結論

今回は、亡くなった人がどこにいるのか、亡くなった人にもう一度会い会話することは可能なのか、についてスピリチュアルな視点から詳しく説明しました。

物質的な意味で亡くなった人と会うことや会話することは出来ませんが、非物質的には可能だと言うことがご理解いただけたと思います。

ここまでお読みいただいた人でも、まだにわかに信じられないと思っている人も多いことでしょう。

これはいくら言葉を尽くして説明したとしても、理解できない人には理解できないかもしれません。

それでも、亡くなった人とのコンタクトに興味があるのなら、ご自身で試して見ることは可能なんですよ。

そのことだけでもお伝えできたとすれば、ここまで説明した甲斐があったというものです。

 

ということで今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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