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早死にする人にはスピリチュアルな特徴があった!早死にする人に共通するヤバい習慣の意味することとは?

早死にする人のスピリチュアルな特徴とは?

日本は世界でも有数の長寿大国と言われます。

2019年に内閣府が発表したデータによれば、65歳以上の高齢者は全人口の28.4%に上るとのことです。

つまり全国民の4人に1人以上が高齢者ということ。

そしてこの傾向は年々加速し、2036年には3人に1人が高齢者になるんだそうです。

これは元気で健康な高齢者が増えるという事ですから、ある意味喜ばしい事ではあります(逆にさまざまな社会問題も起きてくるのも確かですが)

しかし、すべての人が長生きするかというと決してそういうわけではありません。

若くして亡くなる人は相変わらず一定数存在します。

なぜ早死にする人がいるのでしょうか?

実はこれにはちゃんと理由があったんです。

今回はこの「早死にする人」がなぜ早死にしてしまうのかについて、スピリチュアルな側面から考えていきたいと思います。

 

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見た目じゃ分からない早死にする人のスピリチュアルな特徴とは

よく「あの人、すっかり元気がなくなって今にも死にそうに見える」とか言いますが、見た目でその人が早死にするかどうか分かるものなんでしょうか?

確かに重い病にかかり日に日に弱っていく人を見れば「あ、もうじきお迎えが来る」と分かるかもしれませんが、そういう特殊な場合を除き、外見で早死にするかどうか分かるということに私は懐疑的です。

よく、同じ年なのに若く見える人と老けて見える人がいますが、老けて見える人の方が早く死んでしまうなんてことはありませんよね?

また、スポーツクラブに通い体を鍛えている人が長生きをして、ほとんど運動しない人が早死にするということもありません。

そういうことを言う人が少なからずいますが、科学的な合理性は証明できていません。

ストレスが人間の健康に悪影響を及ぼすのは事実ですが、ストレスを受けているように見える化見えないかは早死にとは全く関係ありません。

つまり外見で早死にするかどうかなんて分かるはずがないんです。



 

外見で早死にするかなんて分かるわけがない

外見で早死にするかどうかを判断することは出来ないですが、では日々の生活習慣で早死にするしないを見分けることは出来るのでしょうか?

たとえば栄養の偏った食生活を長年続けていれば、それが原因で何らかの病気になる事はあるでしょう。

しかし病気になることと早死にする事は無関係です。

病気になったとしても、しっかりと療養して生活スタイルを改善することで健康を取り戻し長寿を全うする人だってたくさんいますし、健康そのものの人がある日突然感染症にかかり命を落とすことだっていくらでもあります。

また、ストレスの高い職業に従事する人が早死にすると言われます。

たとえば旅客機のパイロットは定年後の平均余命がサラリーマンなどと比べて短いという話を聞いたことがあります。

信頼できる情報かどうか分かりませんが、多くの記事にパイロットの平均余命は短いと書かれているため、あながちデタラメではないのでしょう。

このように食生活やストレスの多い職業が寿命を短くすることはあり得ます。

ある意味これらは分かりやすい極端な例と言えるでしょう。

 

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早死にする人に共通するヤバい習慣

こうした極端な例以外に、早死にする人に共通するヤバい習慣ってあるんでしょうか?

あるスピリチュアル系のブログには早死にする人の特徴が書かれていました。

独身生活が長い、友人が少ない、失業中、睡眠時間が短い、睡眠時間が長すぎる、座りっぱなし、通勤時間が長い、テレビを1日2時間以上見る、肉の赤身ばかり食べる、オーガズムを感じない・・・

おいおい、って感じです。

また別のブログにはこんな特徴が挙げられていました。

勉強が嫌いで知能が低い、怒りっぽい、趣味がない、何の目的もなく生きている、食後すぐに歯磨きをする、人付き合いが苦手・・・

これまたおいおい、って感じです。

そしてこれらのブログにはこうした習慣やその人の特質を持っていると早死にするという根拠についてはほとんど何も書かれていません。

今どきテレビを2時間以上見るなんて普通のことですし、それが早死にに繋がるという根拠は科学的にもスピリチュアル的にもいっさいありません。

これらのブログの運営者は一体どこからこういう話を聞いてきたのでしょうか?

ここまで具体的に共通の習慣を挙げるからには、なぜそれが早死にに影響するのかをちゃんと説明するべきです。

納得できる十分な説明もなしにこういう人は早死にするって・・・

あまりにも無責任ではないでしょうか?

 

スピリチュアルには「いい加減なこと」を言う人が多い

とはいうものの、スピリチュアル系のブログにはこうした「いい加減」で「テキトー」なものが少なくありません。

ご存じの通りスピリチュアルの世界は科学的な根拠を示せないことが数多くあります。

たとえば幽霊の存在なんて科学的に説明できませんよね?

ですからスピリチュアルの世界って「言ったもん勝ち」というところがあります。

私は幽霊を見た、と言い切ってしまえばそれが嘘か本当か誰も証明することが出来ません。

本当に幽霊を見たのか、それともただの作り話か。

言った本人以外は誰ひとりとして真実を知ることは出来ません。

だからって、何でも好き勝手にテキトーなことを言っていいというワケではありません。

そういう世界だからこそ、科学以上に発言には慎重になるべきなんです。

私もスピリチュアルの専門家という肩書きを持つ者としてこのことは特に注意していますが、残念ながら多くの人たちはかなりいい加減なことを平気で言っているのも事実です。

 

スピリチュアルな視点で見た早死にする人の特徴とは?

ここまでの説明で、早死にする人を外見やその人の習慣、特質で見分けることは出来ないと言うことはお分かりいただけたと思います。

それでも「え、あの人亡くなったの?まだ若いのに・・・」という話は少なからずありますよね。

スピリチュアルな視点で見た場合、そういう人たちに何か特徴のようなものはないんでしょうか?

 

すべての人は「人生のテーマ」を持って生まれてくる

すべての人は生まれてくるときに「今回の人生では○○をテーマにして生きよう」という「人生のテーマ」を持って生まれてくると言われています。

ひとつ前の人生で家族を大切に出来ず奥さんや子どもたちを不幸にしてしまった・・・今回の人生では家族の幸せをテーマに生きていこう。

みたいな感じです。

このテーマは、自分自身の成長のためだったり、自分を取り巻く人たちの幸せのためだったり、あるいは敢えて不幸な人生を送ることで気付きを得たりとさまざまです。

ですから幸せで順風満帆な人生でないからといって、それを悔いる必要はないんです。

どんなテーマを持って生まれてきたか。

今のあなたの人生があなたにとって満足できるものでも全く満足できないものでも、それがあなたが生まれてきたときに持ってきた「テーマ」だということです。

人によっては「こんな惨めで辛い人生なんてもういやだ」と思っているかもしれませんが、そうした人生を嘆き悲しむだけでなくそうした辛い日々から何が学べるのかを考えてみると、意外なものが見えてくるかもしれません。

 

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All for One, One for All の本当の意味

All for One, One for All という言葉を聞いたことがあるでしょう?

日本語に訳せば「すべてはひとりのために、ひとりはすべてのために」となります。

この言葉こそ、私たちひとりひとりが生まれてきた究極のテーマなんです。

あなたは人生を生きていく上で、絶対にひとりでは生きていけません。

多くの人との関わり合いの中で、助け助けられながら生きていきます。

ひとつ例を挙げてみましょう。

あなたが志望する大学に合格するためには、あなたの代わりにその大学に落ちる人が必要です。

合格者枠には定員があり、全員が合格できるわけではありませんからね。

あなたは受かり、もう一人の人は落ちる。
あなたもその人も同じだけ努力してきたのに、です。

これ、あなたはその志望校に受かることでなにかを学び、落ちた人は落ちることでなにかを学ぶ、そのための出来事なんですね。

細かいことを言えば、あなたは志望校に合格することを人生のテーマの一部として持って生まれてきていますし、落ちる人は志望校に落ちることで学べるなにかを人生のテーマの一部に持って生まれてきている。

こんなふたりは互いの学びのために大学入試の瞬間で人生を交差させます。

一見合格したあなたはハッピー、落ちた人は不幸、と考えがちですがそうではありません。

これ、ふたりとも計画通りなんですよ。

こうした細かい出来事があなたの人生には無数に存在します。

そしてそれら一つ一つにすべてあなたが生まれるときに持ってきた「人生のテーマ」が関係しており、それぞれの出来事でさまざまな人と交差するんです。

その中にはあなたの知人が早死にしてしまう、という出来事もあるかもしれません。

そしてその出来事からあなたが何を学ぶのか?

それはあなたしか分からないことですが、あなたがそれを学ぶためにあなたは早死にする人と交差することになるんです。

早死にする人はあなたの人生の学びのために犠牲になるわけでは決してなく、自分が早死にすることでなにかを学ぶことを人生のテーマの一部に持って生まれてくるわけです。

え、そんなの納得できないよ、と思うかもしれませんね。

誰だって長生きしたいに決まっているじゃないか、はじめから早死にすることを決めて生まれてくるなんておかしいでしょう。

たしかにそう思うかもしれませんが、一部の魂はこういう選択をして生まれてくることがあるようなんです。

たとえば不幸にも事故で命を落としてしまった場合です。

これは被害者家族も加害者もいたたまれない思いを抱えて生きていくことになります。

被害者家族がどれだけ加害者を恨んでみたところで亡くなった方が帰ってくることはありません。

また加害者本人も、いくら後悔したところで被害者が生き返ることはありません。

被害者家族も加害者も、いやが上にも今後の人生が全く違ったものになってしまいますよね。

それでも生きていかなければならないとしたら、この不幸な出来事から何を学びますか?

その学びのために被害者は事故で若くして命を落とす役回りを引き受けたのかもしれません。

だとしたら被害者の死をいつまでも悲しんでばかりいるわけにはいきませんよね?

そしてすべての人が誰かひとりのための「何らかの役回り」を担って生きているんです。

すべてはひとりのために、ひとりはすべてのために。

だから人はひとりでは生きていけないようになっているんですね。



 

総括すると

今回は、早死にする人についていろいろと考えてきました。

外見や習慣、特質から早死にするしないを見分けることは出来ませんが、すべての人は誰かひとりのために何らかの役回りを担っている、ということをご理解いただけたかと思います。

早死にする人に共通するヤバい習慣なんてものは存在しません。

存在するのはひとりひとりが生まれてくるときに持ってきた「人生のテーマ」です。

この人生のテーマをクリアするためにさまざまな人とさまざまな瞬間に人生を交差しながら、なにかを学んでいくんです。

早死にする人はある特定の誰かのために、早死にすることで学びを提供する役回りを持って生まれてきたと考えることが出来ると言うことです。

早死にしないまでも、すべての人は誰かのために何らかの役回りを持っています。

こうして互いが互いに学びを提供し合って人生が進んでいくと言うことなんですね。

そう考えれば、起きてくることのすべてが順調、計画通りということが分かります。

 

ということで、今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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