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死んだら自分の意識は残るのか?死後の意識がどうなるか考えると怖いという人に真相を解説

死んだら自分の意識は残るのか?

死んだらどうなるのだろう?

人間にとっての永遠の疑問ですね。

本当のところどうなってしまうのか、現段階で100%正しい答えを言える人はこの世の中にひとりもいません。

なぜなら「死んだことのある人はひとりもいないから」ですね。

死んだらもう二度と戻ってくることがない、でも人間誰しもいずれは必ず死ぬ。

それだけに死に関して他人事でいられる人はいないはずです。

今回はこの「死」について、特に死んだら「意識」がどうなってしまうのかについてスピリチュアルな視点から解説していきたいと思います。

 

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人が死ぬって、どういうことなんだろう?

私はヘミシンクの公認トレーナーという立場上、スピリチュアルの専門家として死後のことについてはある程度詳しいと思っています。

そもそも私がヘミシンクと出会ったきっかけも、この「死」に対する興味からでした。

人間、死んだらどうなるのだろう?

これまでにも私の家族や親戚、友人などの死を何度となく見てきましたので、目で見て理解できる死に関しては分かります。

肉体の機能が停止して、私たち生きている人とのコミュニケーションがいっさい不能になってしまう。

そして機能を失った肉体はやがて朽ち果てて行ってしまう。

そして死者はそれ以降、生きている私たちの心の中だけで存在し続ける・・・

でもちょっと待てよ、肉体は分かる、分かるけど、じゃあ意識はどうなる?

意識はどうなってしまうのだろう。

それが分からないうちは、死に関して分かったことにならないのではないか。

そしてこのことから私の「死んだら意識はどうなるのか」を探す旅が始まったのです。

 

科学的には「死ねば意識も消失」するというが

科学の世界では、人間とはすなわち肉体です。

成人で約60兆の細胞からなり、その細胞は毎日約500億が死にほぼ同じ数の細胞が新たに生まれています。

私たちの体は手も足も頭も胴体も全てがこの細胞から出来ていて、死ぬとそのすべての細胞が機能しなくなります。

私たちの意識は脳で創り出されたものなので、脳細胞が機能停止すればそれに伴って意識も消失してしまう。

意識には私たちが生まれてから死ぬ瞬間までのありとあらゆる記憶の経験が詰まっており、これが消失すると言うことは私たちの人生そのものが消失してしまうと言うことに他なりません。

つまり、死とは何もかもが無に帰す、ということ。

理屈はその通りなんでしょう。

でも、どうにもすっきりしません。

私たちの全ては意識と言ってもいいくらい、あらゆる経験、記憶、思い出、感情、思考などは意識に蓄えられているというのに、それが消失するって・・・

消失したら私たちはその消失をどう感じるのでしょう?

消失した瞬間から全てが無・・・その無はどう感じる?

無ってなんだ?

 

理解できないことが何よりも怖い

この「全てが消失する、死は無に帰すこと」という説明にどうしても納得できませんでした。

しかし納得しようがしまいが、あと数十年もすればこの世の中のすべての人は死ぬんです。

当然ながら私も例外ではありません。

そう遠くない将来、私も無に帰すときがくる・・・

人間である以上いつかは必ず死ぬ、このことはいいんです。

ただその死というものが、無に帰すということが理解できないのに、自分もその理解できない状態にいずれなってしまう。

だからそれって、どんな感じ?

人間、理解できないことって凄く怖いと感じるものです。

だから私は死ぬことが死ぬほど怖かったんです。

そして答えが見つからないまま月日だけが経っていきました。

 

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ヘミシンクとの出会いで死の恐怖が消えてなくなる

そんなある日ふと立ち寄った書店で、1冊の本が目にとまります。

その本はタイトルが凄かった。

「死後体験」

これがその本のタイトルです。

死後体験?なんだそれ?

そしてサブタイトルに「臨死体験を超える」とあり、それに続けて「米国モンロー研究所のヘミシンク技術が、死後の世界探訪を可能にした!」と続きます。

臨死体験を超える死後体験?モンロー研究所?ヘミシンク?

とにかく聞き慣れない言葉が並んだ本を私は手に取ってパラパラと中を見ました。

そこに書かれていたのはザックリと以下のようなものです。

「モンロー研究所で開発されたヘミシンクという特殊な音響技術が死後世界を垣間見ることを可能にした」

そしてそれを体験すべく、著者の坂本政道氏がアメリカのモンロー研究所に行き実際にヘミシンクを体験したレポート・・・

マジかよ!?

と思いました。

と同時に「あれ、死んだら無に帰すんじゃなかったっけ?」と思いました。

しかしこの本に書かれていたのは「死ぬと無に帰す」ということとは全く違ったことでした。

死は無に帰すことではない。

再びですが、マジかよ?

と想うと同時に、マジだったら凄いな・・・と思いました。

これが私とヘミシンクとの出会いです。

ヘミシンクの凄いところは、死後世界はこういうところですよ、という説明で終わっていないところでした。

死後世界がどういうところか興味があるなら、自分で確かめてきなさい、そのためのツールは用意したから。

こう言われてしまったら自分で確かめるしかありませんよね?

というわけで私もヘミシンクを体験し、死後世界について自分で確かめてきました。

その結果、当然ですが今では死に関しての恐怖は微塵もありません。

 

で、死後の意識はどうなるのか?

さて、ヘミシンクで知ったことは「そもそもの前提が間違っていた」ということでした。

つまり「人間は60兆個の細胞からなる肉体」という前提が違っていたんです。

確かに科学的にはそれで正しいのですが、実は肝心の部分が違っていました。

それは、

「人間は肉体と意識からなる」

そして肉体と意識はそれぞれが独立した存在で、肉体は有限でも意識は無限に存在し続ける、という点が科学では完全に欠落してしまっているんです。

実はこれは当然のことで、科学は物質を研究する学問ですから物質ではない「意識」は研究対象外なんですよ。

物質として存在しない、イコール存在しない。

この前提で考えるから意識は脳で作られた記憶ということになってしまうんです。

そうすると脳の機能停止とともに消えてくれないと困ったことになるわけですね。

だって説明がつかなくなってしまうから。笑

だから「無に帰す」みたいな、どうにも納得できない気持ちの悪い理屈になってしまうんです。

肉体と意識が別物と考えれば、科学では説明のつかないことがきれいに説明できてしまいます。

 

私たちは肉体以上の存在

肉体とは別に意識が存在する。

こう考えると肉体の機能停止、すなわち死を迎えると意識は肉体とは行動を別にします。

肉体から離れた意識はどこに行くのか?

物質の存在しない世界、非物質世界に行きます。

この非物質世界というのはさまざまな解釈が出来ますが、そのひとつとして死後の世界も非物質世界といえます。

つまり私たちは死ぬと、意識が肉体を離れ死後世界に行くわけです。

そして次の肉体と一緒になって「新たな生命」として生まれていくんです。

こう考えることで死後世界の存在も生まれ変わりも前世や過去世もすべて説明できてしまう。

私たち人間は肉体だけの存在ではなく、意識も含めた「肉体以上」の存在なんだとおい事なんですね。

 

総括すると

今回は、死んだら自分の意識はどうなるのかについて解説してきました。

私たちは肉体以上の存在ということが分かれば、死が全ての終わりではないことに気付きます。

私はヘミシンクを通してこのことを自ら体験することで確信しました。

死は無ではない。

もしもあなたが、私のこの結論に納得がいかなければ、是非ともご自身で確かめてみることをオススメします。

私は私の結論をあなたに強制するつもりは微塵もありません。

あなたなりの結論は、あなたが自分で確かめなければ納得できないでしょう?

 

ということで、今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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