この記事はアフィリエイト広告を利用しています。
スポンサーリンク

生まれ変わりの回数が多い人は人格者ってホント?スピリチュアルの通説と嘘を徹底解説!

生まれ変わりの回数が多い人は人格者ってホント?

人は何度も生まれ変わることで、人間として成長していく。
だから人格者は生まれ変わりの回数が多い。

なんて真面目な顔をして言う人、いませんか?

一見するとまともに聞こえてしまいますが、これデタラメですから決して信じてはいけません。

なぜスピリチュアル界にはこうした何の根拠もないことを平気で言う人がいるのか不思議でしかたがありませんが、さらに憂慮すべきはこうした言質をそのまま鵜呑みにしてしまう人がたくさんいることです。

少しは自分の頭を使って考えてみてください。
いかに荒唐無稽で幼稚な理論かが分かりますから。

ということで今回は、生まれ変わりの回数が多い人は人格者という大嘘を徹底的に暴いていきたいと思いますので、最後までお付き合いくださいね。

 

スポンサーリンク
スポンサーリンク

生まれ変わりの回数が多い人は人格者?

生まれ変わりの回数が多い人は人格者であるというトンデモ説が広まったのは、スピリチュアル界を構成する人たちの無知と無理解によります。

多くのスピリチュアル界の自称専門家たちは、スピリチュアル界における自身の発言に何ら責任も自覚も持っていません。

まるでスピリチュアル界では何を言ってもいいとばかりに、何の根拠も裏付けもないことを適当に言い散らかしています。

たしかにスピリチュアル界で扱うテーマは、自然科学で扱うテーマのように数値化し合理的に説明をすることは困難ですが、だからといって口からでまかせを何でも言って良いということではありません。

生まれ変わりの回数が多い人は人格者であるというのも、こうしたトンデモ発言のひとつです。

 

魂のレベルとか言う人がいるが

人は生まれ変わるごとに魂のレベルが高くなっていく。

生まれ変わる回数が増えれば増えるほど魂のレベルが上がっていき、それに伴って人格も高くなる。

だから生まれ変わる回数が多い人は人格者。

逆に生まれ変わる回数が少ないと自分本位の考えをしてしまい犯罪とかを犯してしまう。犯罪者は魂のレベルが低いからそういうことをしてしまうのだ、って・・・

おいおい!

何ですか、魂のレベルって?

どうしてこのような乱暴な発想が出来るのか理解に苦しみますが、一定数の人はこの程度の説明をそのまま鵜呑みにしてしまうから不思議です。

宇宙の真理を無視した宗教などの指導者がこのようなことを言うならわかります。

だって宗教は信者を集めてナンボですから、それらしいことをそれらしく言って信者になってもらえれば目的達成です。

よくあるでしょう、私利私欲を捨てるために出家の際には全財産を宗教に寄付するようにとかって。

本来、教えを説くはずの宗教が誰よりも私利私欲に走っている。

私たちの歴史を振り返ってみても、世界最大の宗教は多くの国で布教活動という名目で人々から土地や金などを搾取してきました。

また自分たちの主張を貫き通すために、違う宗教同士で殺し合う。

それらを指揮主導しているのは、人格者たる人々ですからね。

そういう人々が自分たちを信じさせるために、魂のレベルとか人格者とか口走るわけです。

でもよく考えてみてください。

魂にレベルとかあるんでしょうか?
魂のレベルって、いったい何のこと?

 

スポンサーリンク

 

この世の価値観であの世を語る人たち

結論から言いますが、魂にレベルなんてありませんから。

テレビに出たり雑誌で特集されたり著書も数多く出されている有名なスピリチュアルの専門家だとしても、魂のレベルなんて言った段階で完全アウトです。

偽物決定です、残念!

そんなことを言うのは、非物質界について何も分かっていない証拠です。

物事に優劣をつけるような価値観はこの世ならではのものであり、あの世にはそのような価値観もなければ発想もありません。

魂は魂であり、そこにレベルの差とか優劣なんて一切ないんです。

にもかかわらず、魂に優劣とかレベルとかを持ち出して価値に差をつけるのは、あの世のことが全く見えていないからですね。

生まれ変わる回数が多かろうが少なかろうが、それで魂に何らかの差が付くなんてことは無いんですから、生まれ変わりが多い人は人格だなんて、まったく意味のないことです。

では、なぜ私たちは何度も生まれ変わりを繰り返すのでしょうか?

 

生まれ変わりについて正しく理解する

何度も生まれ変わる理由・・・これは端的に言えば「面白いから」です。

これは人間という存在を理解できれば、当たり前のように理解できることです。

物理学や医学などの自然科学至上主義が幅をきかせている現在、人間は単なる肉の塊に過ぎないと理解されるのが一般的ですよね。

人間は肉体だけで出来ている・・・だから肉体が機能を停止すなわち死ねば、脳を含めたすべての肉体の機能が停止する。

私たちの意識(経験・記憶など)は脳に蓄積されているため、死とともに脳も機能停止し、従って意識も消失してしまう。

このことから自然科学では「死ねば無に帰す」と理解されています。

ですから死後世界もなければ生まれ変わりもない、当然ながら前世も過去世もない。
体外離脱(幽体離脱)なんてもってのほか。

自然科学の研究成果からすれば、当然そうらるわな・・・

でもここで忘れてはいけないことが2つあります。

ひとつは「自然科学は発展途上である」ということ。
これは「現段階までの成果としては死は無に帰す」以上の結論を出すことが出来ないということであり、将来的にこの結論は変わることもあり得ると言うこと。

もうひとつは「自然科学は形のあるものを対象にしている」ということ。
これは形のないものは自然科学の研究対象ではないということであり、魂や意識のように形のないものはそもそも自然科学では扱わないということ。

ですから、自然科学で証明できることだけで魂や意識に関して語ること自体がおかしなことであると同時に、どうしても自然科学で扱いたいなら自然科学が「形のないもの」も研究対象にしない限り正しい結論なんて出すことは出来ない、ということを忘れてはいけません。

これに対し、スピリチュアルでは人間を肉の塊とは考えません。

どう考えるかというと、

人間は肉体と意識から出来ている、と。

自然科学で肉体だけと考えるのに対しスピリチュアルでは肉体と意識は「別物」と考えます。

つまり、意識(これまでの人生経験や様々な思い出や記憶など)は肉体とは別に存在し、これは肉体が機能停止しても肉体と一緒に消失することはないと考えます。

意識は形がない、すなわち非物質なため、肉体のように有限の存在ではなく無限に存在し続ける。

肉体が機能停止すると意識は肉体から離れ、非物質界へと移行します。

これがいわゆる「死後世界」であり、死後世界を経て再び別の肉体に宿る。
これが生まれ変わりというわけです。

こう考えて初めて、死後世界、生まれ変わり、前世、過去世、体外離脱などの自然科学では全く説明できなかったものがすべて綺麗に説明できてしまいます。

 

スポンサーリンク

 

物質界と非物質界

このように、自然科学では説明できなくてもスピリチュアルでは説明できてしまうことがあるんだと言うことをご理解いただけましたか?

スピリチュアルなんて信じられるか、合理的な確証を以て説明しているわけではないじゃないか。

と、自然科学至上主義者は言うことでしょう。

だからさっきから言っています。
その考え方は自然科学の考え方であって、他の分野では役に立たないって。

その証拠にスピリチュアルで言われているようなことに関して、自然科学では何も説明できないじゃないですか。

対象分野じゃないものにまでその考えを持ち込んで騒ぐのはやめませんか?

そもそも自然科学には非物質という概念すらないでしょう?
(反物質とかいう概念はあるようですが・・・)

だから死というもの、死後どうなるかということに関して「無に帰す」というような意味不明なことを言ってしまうんですよ。

どう考えたっておかしいでしょう、死が無に帰すことなら私たちはなぜ生まれてくるのでしょうか?

それは子孫を残すため?

残してどうするんですか?
人間という種を繁栄させたとして、私たち個々の存在は数十年間生きて無に帰していくとするなら、いったい何のために生まれてきて何のために人生を生きるんでしょうか?

自然科学の「無に帰す」という説明は、どう考えても合理的とは言えません。

 

この世ならではの体験

これに対しスピリチュアルでは全く別の説明をします。

私たち人間は肉体と意識で出来ている、と説明しましたが、スピリチュアルでは人間の主体は肉体ではなく意識の方であると考えます。

肉体は有限であり数十年も経てば機能しなくなってしまいます。
しかし意識は無限の存在であるため、肉体が朽ち果てても残ります。

肉体が朽ち果てると、意識は肉体を離れ非物質界へと移行します。

そしてこの非物質界こそが私たちの本来の居場所なんです。

本来意識は非物質ですから、物質の囚われない世界の存在です。
物質が存在しない世界はすべてが繋がっており、何もかもがひとつになったようなものと考えられます。

つまり、非物質界では「個」がないということです。

あなたも私も繋がっており、互いにすべてをわかり合っている状態です。
これはあなたと私に限らず、この宇宙のあらゆるものの意識はすべて繋がっており互いに理解認識し合っています。

そしてこの非物質界には時間や空間という概念もないため、過去とか現在、未来という時系列も存在しなければ場所という概念も存在しません。

つまり非物質界ではありとあらゆる時空のすべてが完全に融合しているような世界といえるでしょう。

物質界に生きている私たちにはなかなか理解しにくい世界ですが、要は意識は本来そういう世界の住人であると言うことです。

で、ここからが問題なんですが、非物質界ではあらゆる物事がすべて共有されているようなものなので、誤解とか意見の対立とか争いなどというものも一切存在しません。

なんとも平和で素晴らしい世界だと思いませんか?

でもひとつだけ存在しないものがあるんですよ。
それが何か分かりますか?

それは「分離」です。

すべてが融合した世界ですから、分離という概念そのものがないんですね。

つまり、分離すると何が起きるのかが非物質界にいると分からないんです。

ないものに関しては好奇心が湧くもので、意識も「分離」とはどういうものなのか知りたくなったんですね。

で、分離を体験してみよう、と。

分離するには「物質」が必要になります。

分離とは物質的に異なった物質を言いますから、そもそも非物質界ではどう逆立ちしても体験することが出来ません。

そこで意識は分離を体験するために物質界を作ります。

この辺の内容は宗教的には創世記のようなもので語られる内容とよく似ていますが、宗教のように神が世界を創った訳ではありません。

創ったのはあくまで私たちの本質である「意識」です。

肉体を持つことで個々の人間が分離し、互いに何を考えているのかが分からなくなる。

それにより相手を理解しようとすることで様々な感情が生じて来ることになります。

誤解による怒り、恐怖、悲しみ、嘲り、理解による安寧、愛情、楽しみ・・・

こうした感情は私たちが物質として分離しているからこそ生じるものです。
これは意識が非物質界にいるだけでは決して味わうことの出来ないものなんですね。

分離しているが故に人間は争い、時には殺し合ったりもしてしまいますが、互いに理解し合えたときの喜びは格別なものですよね。

こうした体験ひとつひとつは、意識にとってはとても刺激的だし興味深いし最高にエキサイティングな体験なわけです。

だから私たちは人生を生き、様々な経験をして死んでも、再び人間をやりたくなるんです。

肉体の生きられる期間なんてたかだか数十年、経験できることなんて知れています。

だから何度も何度も人間として生まれ変わり、さまざまな体験をする訳ですね。

肉体を持って物質界で生きる体験は刺激的で面白い。

これが何度も生まれ変わる理由です。

魂のレベルが上がるとか、そんなくだらない理由ではなく「面白い」から。

だから何度生まれ変わっても人格者になんかなりませんよ。

だって魂を磨くとか人間としての完成形を目指しているわけじゃないから。

単に面白いから何度も生まれ変わる。

それだけの話です。

 

スポンサーリンク

 

結局のところ

今回は、まれ代わりの回数が多い人は人格者という、とんでもない嘘を正しました。

成長とか学びとかレベルアップとか、そういうくだらないことを言う人は本質が何も見えていない人です。

そんな高尚な理由をこじつけなくて良いんですよ。

人間経験は面白いから何度も繰り返し生まれ変わってしまう・・・

これが真相です。

真相ですが、こう考えるとすべてがしっくりと説明できてしまうと思いませんか?

 

ということで今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。

 

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スピリチュアル
スポンサーリンク
Hero-Gをフォローする
タイトルとURLをコピーしました